autour de 30 ans.

勉強したことを書きます

『音楽の十字街に立つ』補遺:サン=サーンスとフランク

quasifaust.hatenablog.com

前の記事の注釈が膨らんでしまったので分割。

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online - 音楽の十字街に立つ

『音楽の十字街に立つ』の約三分の一を占める「ヴァンサン・ダンデイの觀念」は、ダンディの大部『作曲法講義』に対する1919年に書かれた論評です。大筋では高く評価、ただし細部は大いに不満といった趣で、その論評は現在の目から見てもうなずける点の多いものです。そして終盤、ダンディの音楽史の認識に意見を述べる流れのなかで、かなりの分量を割いて、フランク(とリスト)への評価がつづられています。

ダンディのフランク崇拝をたしなめる論調ではありますが、ただし全面的な否定とはほど遠く、世間の評判が低い時期から自分がフランクを支持していたことや、パリ音楽院のオルガン科教授の席をフランクに譲ったエピソードから始まる(このあたり、サン=サーンスの大人気なさがにじみ出ているとも言えますが...)分析は、フランクの音楽の価値をしぶしぶながら認める部分も少なくありません。「私たちは,それに聽き入る場合(...)歡喜を自覺するのです」と書きながらもモーツァルトベートーヴェンに及ばないと評する段(63-64頁)は、裏を返せばそれだけの名前を持ってこなければフランクを上回れないとも読めるでしょう。

ただ、「前奏曲、コラールとフーガ」を評する段(62頁)になるとはからずも毒舌が冴えてしまい、しかもその文章は『フランス・ピアノ音楽』でアルフレッド・コルトーが引用したこともあってそれなりに広まってしまっているようではあります。

いちおう文脈を説明すると、『作曲法講義』のフーガについて述べる章でダンディはサン=サーンスにそれなりの扱いを与えながらも、「BeethovenとFranckの表情的手法と言うよりも、Mendelssohnや近代独逸諸家の便宜的な冷ややかな態度である」(池内友次郎訳、第2 上巻 96頁)と切り捨てています。「冷たい」というのはサン=サーンスが批判される際の常套句です。

そのすこし後でダンディは「前奏曲、...」を引き合いに「この不朽の作品、monumentum ære perenniusは、あらゆる理論にもまして、数世紀を経た尊重すべきFugueを現在なお期待し得るし、また、期待しなければならないことを証明する」(同、96頁から改変*1)と最上級の表現で称えているのに対して、いきすぎではないかとサン=サーンスが発言しているという流れです。ただ、筆が滑ったにしても「コラールはコラールでなく...」のフレーズのキャッチーさ、頑迷さを表すエピソードとしての語りやすさはいかんともしがたいところですが。

あとに出てくる、フランクのカノンは同度かオクターヴだから大したことがないという難癖*2も、「多数の作品でCanonが驚くほど巧妙に利用されている(...)どの作品に於ても、Canon風模擬に充てられた旋律線が、その理由で、不整な或は無理な形で現れることはない。反対に、Canonは、転調に於て単純自然であり、自然に発生し、しかも、価値を増大せしめている」(同、95頁)とダンディが絶賛していることへの反応でしょう。

いずれにせよ、サン=サーンスからフランクへの態度は、ワグネリズムに対するものと同じように、彼にとって「過剰」評価と思えたものへの非難にとどまり、対立といった言葉で表せるものからは離れているように思えます。

 

sibaccio.blogspot.com

サン=サーンスとフランクの距離感についてはこういった記事もあります。

*1:池内訳は「この不朽の作品形式」としていますが、原文(Cours de composition musicale .. : Indy, Vincent d', 1851-1931 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive)は "cette œuvre impérissable" (p. 99) で、前文で「前奏曲、...」に触れたのを受けているとサン=サーンスは読んだのでしょう。

*2:同度やオクターヴのカノンは和声の変化がつけにくくて難しい、という話を聞いたことがありますが。

サン=サーンス『音楽の十字街に立つ』

以前某所に書いたことの増補版。

戦前にも日本ではクラシック関係の音楽書の執筆・翻訳がかなりの数おこなわれていて、国会図書館のデジタルコレクションで読める本も多くあります。

国立国会図書館デジタルコレクション

なにしろたいていが情報も翻訳も古いので、そのまま勉強に使うには注意が必要だとは思いますが*1、それを心得ていれば、なかなか興味深いものも多いです。

サン=サーンスの『音楽の十字街に立つ』(馬場二郎訳、新潮社、大正14(1925)年)もその一つで、物書きとしても鳴らしたサンサーンスの唯一の邦訳書です(「文章」を収めたものとしてはフォーレとの書簡集も訳がありますが)。

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online - 音楽の十字街に立つ

内容は、書籍や自筆譜に関する詳細な分析(「ヴァンサン・ダンデイの觀念」「シォパンの原稿樂譜」)から作曲家論(「洋琴家フランツ・リスト」)、啓蒙的な文章(「ラモー論」「買ひ冠られた贋の傑作」)、回想録のたぐい(「サラサーテ」「樂劇『サムソンとダリーラァ』の起原」)、心あたたまるエッセイや旅行録(「動物の侶伴の觀察」「アメリカの印象」)と多彩で、サン=サーンスの思考や人となりが存分にうかがえるものです。貴重ながらそれなりに入手困難な本だったのがどこからでも無料で読めるわけで、いい時代です。

翻訳ですから当然もとになった本があるわけですが、訳者の前書きには「カミーユ・サン・サーンスの没した年ー即ち,一九二二年*2―に,パリイで出版された論文集」(3頁)とあるだけで題名は分からず、『音楽の十字街に立つ』という邦題*3に対応する本もありません。訳文自体はなかなかこなれたものですが、原文を見てみたいと感じるところも少なくないので少し困ったものです。

ですが推測するなら、1922年に英語で出版された "Outspoken Essays on Music" が翻訳ソースだと思われます*4。内容を見ると、収録されている文章は全く同じです。

archive.org

問題になるのは、"Outspoken ..." が「パリイで出版された論文集」の翻訳ではないかという可能性ですが、ここで参照したのはTimothy Flynn "Camille Saint-Saens: A Guide to Research" (Routledge, 2003) です。本人の文章を含めたサン=サーンス関係の文献目録・解題集で、"Outspoken ..." について調べると "a collection of the composer's essays in an authorized translation from previously published materials" と書かれていて、単一の原書の存在には触れていません(p. 107)。また、1922年に他の著作が出版されたという言及も見当たりません。

調べてみると、本書に収録された文章(の一部)は1920年から1922年にアメリカの "Musical Times" 誌に掲載されています*5

JSTOR: Search Results

フランス語原文も元々はそれぞればらばらに出版され、一部は本にまとめた中から抜粋したもので、なかには1919年に単独で出版されたばかりの "Les idées de m. Vincent d'Indy"(「ヴァンサン・ダンデイの觀念」)もあります。

断言するわけにはいきませんが、ここまでの情報を総合すると、1922年にフランスでも同内容の本が(追悼のタイミングで?)出版されたと考えるのは難しいように思います。Flynnが大きな見落としをしていたり、なんらかの理由でフランス語版の "Outspoken ..." の存在を記載していない限りの話ですが。

 

ほかにも、英語版からの翻訳だという傍証を挙げることはできます。

巻頭約三分の一を占める「ヴァンサン・ダンデイの觀念」の終盤、ダンディが『作曲法講義』(Cours de composition musicale .. : Indy, Vincent d', 1851-1931 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive)のなかで師フランクをあまりに持ち上げすぎると文句を言うなかで、「前奏曲、コラールとフーガ」を「これは,たゞ,演奏が簡便で,而も,面白いと云ふ事の外には,何も有(も)たない小曲であるに過ぎません」と評しています(62頁)*6。ですがこれは、英語版の "a morceau anything but pleasant or convenient to play" (p. 47) の誤訳と思われます。原文は "morceau d'une exécution disgracieuse et incommode" (p. 39) で、馬場訳のように間違える余地はありませんし、事実、フランス語原文を(コルトーの引用を通して)参照した矢代秋雄(『最新名曲解説全集 独奏曲III』)や安川夫妻(『フランス・ピアノ音楽』1巻)の訳では問題なく訳されています。

もうひとつ、和声と旋律の関係について述べた部分で「唄曲(バラード)『愛人』("La Favorita")の中の『清浄なる天使』("Ange si pur")」(24頁)という表現があります。これはもちろん、ドニゼッティの「ラ・ファヴォリータ」のアリアの話をしているわけですが、英語版では the ballad "Ange si pur," of "La Favorita" (p. 18)となっているこの部分、原文は la Romance ≪Ange si pur≫ de la Favorite (p. 18) とされています。

ロマンス→バラードという変換を偶然日本語訳者と英語訳者がともにしていたのではない根拠として、「モーツアルトの『ドン・ジュァン』を論じたシャールル・グーノー」冒頭の「浪漫曲(ロマンス)」(211頁)は、英語 (p.158) フランス語 ("Charles Gounod et le Don Juan de Mozart" p.1) ともに "romance" になっていることを挙げておきます。

 

こんなまだるっこしい話を延々するまえに、訳者の馬場二郎氏の経歴が分かればいいような気もします。ただ馬場氏の経歴がよくわからない*7のが悩みどころで、訳著書のまえがきや雑誌に寄稿した記事を読むと、日本ビクターの関係者(社員?)としてクラシックの普及にたずさわっていたことと、奈良に住まいなり別荘なりがあったことはわかるのですが、それ以上くわしいことはわかりません。

ただし、かなりの量ある訳書について調べてみると、見つかるかぎり馬場氏の手がけたすべての本が、翻訳時点で英訳が刊行されているか、英語の文献であることがわかります。これがまたひとつ傍証になるでしょうか。

  • カール・ライネッケ『ベートーフェンのピアノ・ソナタその解釈と演奏法』(大正12) Carl Reinecke "The Beethoven Pianoforte Sonatas: Letters to a Lady" (1898)

  • ルービンシタイン『音楽とその大家』(大正12) Anton Rubinstein "Music and its Masters" (1892)
  • ウイットウォース『ニジンスキイの舞踊芸術』(大正13) Geoffrey Whitworth "The art of Nijinsky" (1913)

  • ヴアンテイン『ピアノ演奏法』(大正13) Sydney Vantyn "The foundations of musical aesthetics : Modern pianoforte technique" (1917)
  • ジヤン・クレツエンスキイ『シオパンの名曲』(大正13) Jan Kleczynski "Chopin's greater works" (1896)

  • アーネスト・ハント『音楽の創造者』(大正13) H. Ernest Hunt "Music Makers. A Festival Booklet" (1923)

  • 『シヨパンの日記・ニーツエの言葉』(大正13) Jennette Lee "Frederic Chopin—A Record" (1916) / Friedrich Nietzsche "Selected Aphorisms" (1911)
  • ルイーザ・テトラツイーニイ『歌の唱ひ方』(大正14) Luisa Tetrazzini "How to Sing" (1923)

  • アーネスト・ニュートン『作曲の仕方』(大正14) Ernest Newton "How to Compose a Song" (1915)

  • フランク・ダアムロツシユ『音楽の鑑賞を教へるための基礎原理 : 教へる人・学ぶ人・家庭のために』(大正14) Franck Damrosch "Some Essentials in the Teaching of Music, for the Consideration of Music-Teachers, Music-Students and Parents" (1916)

  • オポルト・アウエル『音楽の世界は廻る』(大正14) Leopold Auer "My Long Life in Music" (1923)

  • フエリツクス・ワインガルトネル『ベートーフエン以後の交響楽』(大正15) Felix Weingartner "The Symphony Since Beethoven" (1904)
  • バァテンシャウ『音楽の基礎智識』(大正15) Thomas Handel Bertenshaw "Elements of Music" (1896)
  • オポルト・アウヱル『ヴァイオリンの名曲とその解釈、演奏法』(昭和2) Leopold Auer "Violin Master Works and their Interpretation" (1925)

 

ちなみにライネッケの本の前書きでは、「目下多數の音樂專門家乃至一般の好愛家は英語の方に一層の親しみを持つ人達なのでありますから」と前置きして、ドイツ語原文ではなく英語版を底本にする旨を明記しています。『音楽の十字街に立つ』の底本が英語版だったとしてそれを明記しなかったのはなにか意図があったわけでなく、単純な勘違いによるものでしょう。

*1:最近個人出版で新訳が出たリムスキー=コルサコフ管弦楽法の基本』(https://gumroad.com/l/YOyEf)のような技法書はある程度古び方がゆるやかかもしれませんが、楽曲分析や作曲家研究・伝記などは一般に新しいものを優先したほうがよさそうです。

*2:実際には1921年12月。前の頁では「一九二二年の十月」に亡くなったと書いているのですが、どこが情報源だったのでしょうか。

*3:この題名、古いものから最先端のものまで膨大な音楽に通暁し統合したサンサーンスらしいなあと思ったら実際は、分かれ道に立つ近代音楽のことだと前書きに書いてありました。

*4:すでにどこかで指摘されていたら知りたいです。シュテーゲマンの『サン=サーンス』とニューグローヴに原著の記載はありませんでした。

カミーユ・サン=サーンス (フランスの作曲家) このサイトでは "Divagations sérieuses" が底本とされています(1922年に出た本という情報からの類推だと思われます)が、この本は1894年の "Problèmes et mystères" の増補版として文献の記載が一致しており、実際に "Problèmes ..." を読むと(https://archive.org/details/problmesetmyst00sain)これも文献の記載どおりの哲学的な論考で、『音楽の十字街に立つ』とは似ても似つきません。

*5:ちなみに、英語で読めるサン=サーンスの文章には、"Ecole Buissonnière" の抄訳である"Musical Memories" (1919. https://archive.org/details/musicalmemories017451mbp)と、いくつかの本から再編集した "On Music and Musicians" (2008) があります。

*6:次記事(『音楽の十字街に立つ』補遺:サン=サーンスとフランク - autour de 30 ans.)参照。

*7:『音楽家人名辞典』『標準音楽人名事典』『人物レファレンス事典』には記載なし。この論文(https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/10821/aes02-033.pdf)でも経歴不明とされていて、そもそも『音楽の...』がネットに公開されたのも文化庁裁定によるもので、ということは著作権継承者も不明になっているのでしょう。あとすぐに当たれるのは当時の『音楽年鑑』ぐらいでしょうか。

「アド・ノス」幻想曲について

コラール「アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム」による幻想曲とフーガ(Fantasie und Fuge über den Choral "Ad nos, ad salutarem undam", S.259)は、ピアノからのアプローチが圧倒的に多いリスト語りの中で、オルガン曲ということもあっていま一つ触れられることが少ないように感じます。ですがオルガンの分野では重要レパートリーのようですし、リスト本人も自信のあった(「今までの作品でも最もましなものの一つ」)ここまでの大作を脇に置いておく手はないと思います。

リストが主題を借りてきたマイアベーアのオペラ「預言者」(Le prophète)の初演が1849年で、正統派のパラフレーズ「『預言者』の肖像」(Illustrations du Prophète, S.414/1-3)を1850年に書いたのと同じ時期にこの作品も完成しています*1。リスト最初のオルガン作品で、バッハのオルガン曲の編曲(S.462/1-6)が完成したのも同時期。リストはオルガンの演奏もできたようですが、こちらではヴィルトゥオーゾとはいかなかったようで公開の演奏の記録はそれほど多くなく、この曲の初演もワイマールで働いていたオルガニストの友人が担当しています。

録音のほうは、あまりオルガンを聴く習慣がない者の意見ではありますが、複雑な響きの作品ということもあって線が聴き取れず曲の輪郭が分からないことがよくあるので、比較的明解に音が鳴って/録れているものとして、ヘルムート・ドイチュ*2のaudite盤と、マルティン・ハーゼルベックの新盤(New Classical Adventure)*3をよく聴いています。

幻想曲

1-35 導入(主題)
36-140 前半
141-229 後半 (変イ長調
230-242 Recitativo

アダージョ

243-298 第1部 嬰ヘ長調
299-356 第2部
357-446 第3部 嬰ヘ長調

フーガ

447-492 導入
493-581 フーガ1 ハ短調
582-615 間奏
616-737 フーガ2 ハ短調
738-763 コーダ ハ長調


サール番号の通り、マイアベーアの主題を使ってはいますが「編曲」とは大きく隔たったリストのオリジナル作品で、実質8小節の単一主題をもとに約30分、全三部*4の音楽を作り出す、主題変容の一つの極致のような作品です。大雑把には全曲が展開部と言っていいくらいですが、もう少しきちんと見ると、R. Larry Toddが言うように*5ピアノソナタとはちょうど反対に、多部分的な全体構成へとソナタ形式の要素を流し込んだつくりを見ることができます。

ちなみに、ロイプケのオルガンソナタ詩篇94番」ははっきりとこの曲をモデルにしていて、同じハ短調で、導入とアレグロ、アダージョ、二つのフーガ、の同じ三区分を単一主題で作り上げています。ただしロイプケの作品の第一部は、Larghettoが主調主題、Allegro con fuocoからを展開部とする充足したソナタ形式(あるいは三部形式)と見なせ、リストのものよりも「二重機能形式」の色が濃い作りをしています*6。ちなみにこちらも「アド・ノス」と同じ理由で、ミヒャエル・ショッホのOehms盤とベルナルド・レオナルディのAudite盤をよく聴きます。

f:id:quasifaust:20180410124159j:plain

(Brandus版のヴォーカルスコアから)

主題となるのはオペラの第一幕、三人のアナバプティスト(再洗礼派)が初登場して農民たちをオルグしていく場面で歌うラテン語の聖歌です。彼らを含むアナバプティストたちは主人公のジャンを(偽)預言者にいただいて貴族へ反乱を起こす、劇の中でも重要な役割を担っていますが、彼らが善良な存在ではないことを思い起こさせるように、後の幕でもこの陰気な主題はライトモティーフ的に何度か出てきます。訳は文献によって違っていて、ウォーカーによると「来たれ、不幸なる者よ、我らのもとへ来たれ、癒しの水のもとへ戻り来たれ」という感じだそうですが、日本語のタイトル定訳は「私たちへ、救いを願う人々へ」のようです。

このうちリストが使ったのは初めの9小節で、しかも5小節+4小節の前半と後半はしばしば分割されて登場します。

f:id:quasifaust:20180415105241j:plain

(ここから譜例はすべてKarl Straube校訂のPeters版から)

最初に主題が(やや変形して)現れます。C音ペダルに乗った明瞭なハ短調ではありますが、フレーズの切れ目ごとに減七和音のクラッシュが挟まれて音楽の印象はかなり不安定です。

短いレチタティーヴォを挟んで、36小節から四声体でいよいよ本格的な変容が開始。ここからはほとんど調性が安定することなくひたすらに転調と不協和音を多用した主題の変容を続けていきます。74小節で音型がアルペジオに変わったところはト短調がはっきりと聴き取れますが長続きはしません。

f:id:quasifaust:20180415105434j:plain

132小節から足鍵盤のトリルの上でト短調の主題が現れたのがきっかけになって、141小節で変イ長調が確立し、ファンファーレ風の新しい楽想が現れて副次調部分が始まります*7。今までは主題の前半しか使っていなかったのに対し、ここで初めて後半が使われ、これ以降は下降跳躍で始まるこの後半部が中心となって進んでいくことになります。

不安定な調での展開が続き、203小節で、As音を含む減七和音を中心にしたクライマックスに到達。As/Gis音を軸にした推移はカデンツァやレチタティーヴォで静まっていきます。

f:id:quasifaust:20180415105451j:plain

アダージョ部は嬰へ長調に落ちつき、ここで初めて主題が連続した形で演奏され、すぐに和音を伴って現れます。フォルテは一度も現れず、転調を見せる部分でもここまでの激しい展開とはまったく性格の異なる、天国的な響きを聴かせます。

このアダージョ部分は、299小節からの展開的な部分を挟んで三部分からなると見ることができるでしょう。ただし261小節からのcisからバスが下がっていく楽想が、434小節で現れるときはfis音から始まるあたり、ソナタ形式の雰囲気も感じます。

安らかなアダージョは最終的に変イ長調の和音で断ち切られ、447小節から減七の和音と主題冒頭の二度下降動機による嵐のような間奏が始まります*8ハ短調の属和音で次の部分へ。

f:id:quasifaust:20180415105503j:plain

ハ短調が確立し、主題が厳めしい付点リズムで出てきて四声のフーガが始まります。これはリストが本格的にフーガを作品へ取り入れた最初の例ですが、不協和音程が頻発する型破りな書き方で、こうしたリストのフーガの捉え方は、若い頃に教えを受けたアントワーヌ・ライヒャがやはり型破りな考え方の作曲家だった影響を受けたのではないかと指摘されています*9

転調を繰り返し、遠く離れた嬰へ短調で573小節からのクライマックスを築くと、嬰へ長調となって第一部のファンファーレ楽想が登場し間奏が始まります。十六分音符のパッセージが支配するようになると、再びハ短調属和音に行き着いて次の部分へ。

f:id:quasifaust:20180415105514j:plain

威厳を放っていた第一フーガに対して、第二フーガは初めから早いパッセージが途切れることなく、切迫感の中で展開していきます。

657小節では変ホ長調で主題が現れ、明るい終結を予感させます。しかしヘ短調(665小節)からロ短調(675小節)への大転調を経て、689小節で意気揚々と出てくる主題はロ長調!です。このままでは結論に至ることはできないわけで、減七和音の連続する転調を挟んで、712小節でようやくG音のペダル持続に到達し、結論が見えてきます。

第一部はハ短調で始まり、常に調性は定まらなかったものの、安定した響きが聴こえるのはト短調変イ長調といった近親調でした。しかしこの第三部では、ハ短調に嬰へ長調ロ長調が対置され、調の対立は激化しています*10。この曲の全体像はソナタ形式の要素を持ってはいますが、愚直なまでの「再現部」をロ(長)調へ収斂させるピアノソナタと比べると、似た作りではありますが違いがはっきりします。

f:id:quasifaust:20180415105524j:plain

コーダでは待ちに待ったハ長調、再強奏で主題が登場。大詰めはドミナントを通らずサブドミナント方面に響きが振れて、プラガル終止で荘厳に曲を閉じます。

 

編曲はいくつか存在します。マルセル・デュプレのオルガンと管弦楽のための編曲(c.1930)は、オルガンのマッシヴさを残したまま色彩と線の明確さを増す効果があって、(自分を含め)オルガンを聴くのにあまり慣れていない聴き手が作品に近づくには絶好の編曲だと思います。ただ原曲が十分にカラフルなので、オルガン版に親しんでいればやらずもがなという感じはあるかもしれません。

リスト自身はピアノ連弾のための編曲を残しています(S.624)。初版譜にオルガン譜と並べて発表されたもので(だから場所によっては見た目に七段譜となる)基本的にはオルガンの足鍵盤をセコンダが弾くのに終始し、そのほかの書き換えは控えめです。なので、編曲作品としての楽しみではブゾーニによるピアノ独奏編曲(1897)のほうが上でしょう。どちらも録音は複数あります。

ブゾーニの編曲は、リストの熱心な支持者でバッハのオルガン曲の名編曲も多く残している彼らしい充実したものですが、二手で効果を挙げるために随所でテクスチュアを書き換え、いくらかカットもあるのが評価の分かれるところではあります。ハワードはブゾーニ編を「リストの作品というよりもブゾーニの編曲だと感じさせる」と評して、オルガン版のテクスチュアをあまり変えずに重い響きが得られる連弾版のほうを全集に入れています。個人的にはどちらも甲乙付けがたいような気がするものの、原曲を思い出さなければブゾーニの編曲は十分にリスト的で、ワイマール期リストのピアノ作品の延長線上として聞くにはブゾーニ版のほうが入りやすいのではないかと思うのですが。

*1:1842年から作曲が始まったと書いている本もありますがそういう記録があるのでしょうか。オペラは30年代から作業が始まっていたようで、リストはマイアベーアとも親交があったのでありえない話ではないのですが。ちなみに1852年に作品を献呈されたマイアベーアは喜んでいたようです。

*2:名伴奏者とは別人

*3:初演を行ったメルゼブルク大聖堂のオルガンが使われています。

*4:タイトル通りに見れば初めの二つは「幻想曲」として括ったほうがいいのでしょうか。

*5:http://www.jstor.org/stable/746698 かなり詳細な分析で本稿でも大いに参考にしていますが、全面的な賛同はしません。

*6:同じようにリストの例に則りながら、充足したソナタ形式の第一部や、トリオを持つスケルツォが含まれるピアノソナタと同様に。

*7:Toddはト短調が副次調、変イ長調で展開部が始まるとしていてとても自然な見方ですが、後の展開を考えてもハ短調変イ長調の枠が規定されていると見たいです。

*8:最初に鳴るのはAsを含む減七和音ですが、アダージョに入る前の238-241小節も、同じ減七和音へと変イ長調和音から進行します。ここから、アダージョ部はソナタや演奏会用大独奏曲と同様の挿入部としての位置付けだと考えられます。

*9:余談。サン=サーンスはフランクのPCFを「フーガでない」と断じましたが、同時に彼はこの「アド・ノス」を愛奏しています。フランク作品への批判が、古典的な規則に沿っていないだとかではなく、「果てしない脱線が続く」continue par d'interminables digressionsと言う通り、対位法的な展開からすぐに逸れることを問題視したものだという傍証でしょう。

*10:主調復帰のクライマックスを先延ばしにしようとする、まさにロマン派的な手段です。