「スケルツォとマーチ」について
リストの「スケルツォとマーチ」(Scherzo und Marsch, S.177)。1851年作曲開始、1854年出版というリスト壮年期の作品ですが、それにしてはマイナーで、ただしソナタに繋がっていく大作の一つとして評価すべきという声が近年高まっている、という感じでしょうか。
ただしホロヴィッツの録音をはじめとして決して全く知られていない部類には入らず、どちらかと言えば「マイナー曲としてメジャー」というよくあるパターンに入っているのではないかと思います。それなりの知名度がある理由の一つとしては、献呈されたクラクもタウジッヒも弾きこなせず、リスト本人も弾かなかった(byハワードさん。"neither Kullak nor Tausig could bring the piece off in performance" "he never played it himself")という難易度のせいでしょうか*1。ただしウォーカーの伝記や新リスト全集の解説によればタウジッヒは何度もこの曲を演奏会に上げていて、リスト本人も弾いたことがあるとのことで、話の詳しい出所を知りたいところではあります。
この作品の黒々とした魅力(陰気というわけでもないのです)は、ソナタを取り囲む大曲群の中では異彩を放っています。基本的にすべて闘争・苦悩から和解・救済に進む図式をとっているあれらと違い、どちらかというとこの作品は、シューベルト、ベルリオーズ、ウェーバーあたりが流れを作り、リストを通過して「死の舞踏」*2や「呪われた狩人」や「夜のガスパール」を生んだような、禍々しい表現の系譜に属する作品のように思います*3。リストの作品で言えばメフィストワルツ群や、ファウスト交響曲の第3楽章と並べるのが、最もよく作品の立ち位置を説明するように感じます。
1-18 導入
19-115 主題群A 二短調
116-137 主題群B イ短調
138-153 小結尾 イ短調
156-275 主題展開(200~ フガート)
276-341 主題群A再現 ニ短調
342-363 主題群B再現 ニ短調
364-387 小結尾 ニ短調
マーチ
388-422 マーチ主題 変ロ長調
423-449 推移
450-477 マーチ主題(強奏) 変ロ長調
478-495 導入
496-566 主題群A 二短調
マーチ
567-589 推移(マーチ主題による)
590-597 マーチ主題 二長調
598-619 コーダ(スケルツォ主題群による)
単一楽章の中に二つのテンポが共存している形で、ロンド形式だったり展開と再現が二回あるソナタ形式だったりの説があるそうですが、自分では、スケルツォとトリオの形式(スケルツォ単独でソナタ形式になっているのは「第九」などに例あり)にソナタ形式の調構造を持ち込んだ、と理解しています。
同時期の大作群が基本的に、単一楽章のソナタ形式が肥大していくなかで各部分の独立性が増していったり、新たな材料が挿入されていったものだと考えるなら、この作品の場合は二つの別々のもの(それぞれ調性的・形式的に完結している)を接合して一作に仕立てた、という違いを見ることができます。リストに関わる前例で言うなら、前者はさすらい人幻想曲、後者はウェーバーのコンツェルトシュテュックや「ウィリアム・テル」の序曲を思い起こさせるところです。新リスト全集の解説はベートーヴェンのソナタ作品における楽章連結を引き合いに出しています。
別々なものを接合して大作を作るといえば、リストの作品ではヴィルトゥオーゾ時代を中心に書かれたオペラ(等)ファンタジーの先例があります。ですがこれらの作品が基本的に調的一貫性を無視しているのに対し*4、ソナタ形式の枠を忘れないでまとめ上げたところが、この作品がソナタ関連の重要作品の一つと見なされる理由なのではないかと考えます。
装飾音符がうごめく導入*5に続き、半音のトリル音型を中心にしたスケルツォが走り出します。色々と変形されながらも、トリル音型とその変形はスケルツォ部のかなりを支配することになります。
細かな動きを基調にした展開を打ち破る豪快な楽想。
属七和音での予示を経て、イ短調で副次調主題Bが力強く出現。主調主題群が基本的にトッカータ的・練習曲的で主題としての堅固さが弱いのに対してこちらは強い存在感を放っていて、ロマン派のソナタ形式の第二主題重視という路線に則っています。コデッタは導入部の動機、主題群A冒頭の旋律線、主題Bの動機を接続して静まっていきイ調で終止。
導入の再現に始まる展開部はロ短調を基調にし、主題Bに基づくフガートがかなりの比重を占めます。再現部はトリル音型を二音に集約した楽想で始まり、その後リスト作品としては異例なことに型通りの再現部が続き二短調できっちり終止します。このスケルツォ部は「ソナタ形式」のモデル通りの作りといい、少ない素材、というか細胞(他の大曲群に比べても断片的な素材の積み重ねです)の色彩を変えながら曲を進めているところといい、どうしてもベートーヴェンに触れたくなるところです*6。
低音域で鬱蒼と始まるマーチ。リストによればベートーヴェンとシューベルトを意識したそうですが、響き自体は完全に独自のものです。変ロ長調ですが執拗なges音(モルドゥア)に、左手の空虚五度と装飾音符が極めて妖しい雰囲気を醸し出します。
このマーチ部は単独で三部形式として整理できそうです。三全音関係のホ長調へ一度転調していった後、低音に頭が欠けた三連符の動きが現れて(二度の動きはA主題がもとでしょうか。そもそもマーチ主題も二度の動きですね)ふたたびマーチ主題が変ロ長調で力強く演奏されます。
マーチは変ロ長調の七の和音に落ち込んで中断、再びスケルツォの導入と主題群Aがほぼそのまま再現されます。
スケルツォを断ち切った減七和音を引き継ぎ、マーチ主題の動機を使ったストレッタの推移で一ページ以上緊張感を高め続けたあと、マーチ主題が高らかに帰ってきます。
確かにニ長調には違いないのですが、普段リストが終結に持ってくるような、時に理想的すぎるまでに曇りのない帰結とは明らかに違っています。高らかに鳴るb音、左手の空虚五度、c-h-b-aのバスは強く二短調を志向し、この後に出てくるB主題もesとbが含まれて旋法的な妖しさを放っています。ケントナーの表現だと「あたかも信仰と悪魔が戦うように。最後には信仰が勝ちを収める」そうですが、どうもまともな信仰とは思えません。最後の最後にスケルツォのトリル音型が低音で蠢くのを見ても、異形のもの同士が手を組んで嘲笑うなかの終結と言われたほうが頷けます。
この曲は長らく一つの稿だけで知られていましたが、1851年1月の日付がある初期稿が近年になって発見され、2009年に初出版されたそうです。初稿の段階で付けられていたタイトル、"Wild Jagd"(幽鬼の狩り)は結局超絶技巧練習曲の第8番にスライドするわけですが、よりデモーニッシュさに支配されたこっちの曲のほうが似合っているような気がします。あまりにはまりすぎていて描写音楽的に軽く見られてしまう危険もなくはないところですが。
パッセージの細かな違いを無視するなら主要部分は初稿でほぼ出来上がっています。大きな違いとしては最終稿で2/4と6/8が交錯するようになっているのが一貫して6/8で通して音が増えているのと、序奏で出てくる下降モチーフを取り上げた推移部がスケルツォ展開部の終わりと二度目のスケルツォの導入後に挿入されているあたりでしょうか。
ホロヴィッツの1967年録音も一つのバージョンとして考えてよいでしょう。最初のスケルツォにおける主題再現をほとんど取っ払ってすぐにコデッタへ繋いでいる上、ニ長調のマーチ主題再現をカットしており、より全体としての流れを重視した*7構成になっています。これには原曲の構成を破壊したとして否定的な意見もあり、自分も確かに物足りない感じはあります。ただ、改訂が進むに従って「形式上仕方なく必要だった部分」を取り除く傾向があったリストの作品としては、再構成の一つの方法としてそう無下にするものではないかな、と思います。
*1:超絶技巧練習曲第2版やパガニーニ練習曲初版がそれなりに有名なのと同様に。ただしこの曲の「演奏困難」は少し毛色が違う気がします。むしろ左右交互のパッセージ(ニューグローヴ曰く、メカニカルにでなく心理的な面で大変なんだそうですね)が延々と続く特殊性だったり、もしくはハミルトンによればソナタですら1880年代まではビューロー以外ほとんど演奏されなかった(その例外がサン=サーンスだとか)のと同様に、この異様な作品自身が理解されていなかったのが理由と言われたほうが腑に落ちます。
*2:Danse Macabre
*3:ちなみに、さらに近いところだとタウジッヒのバラード「幽霊船」はこの曲の影響を受けたのではないかと勝手に思っています。
*4:ドンファンがニ短調→変ロ長調、ノルマがホ短調→変ホ長調、ユグノー教徒が変イ長調→ロ長調、スペイン狂詩曲が嬰ハ短調→ニ長調。ただし初期の作品「ロッシーニとスポンティーニの主題による華麗な即興曲」S.150は興味深く、ホ長調、ロ長調、変ロ長調、変ホ長調の四つの旋律によるポプリなのですが、第二の旋律が最後にホ長調で帰ってくることでソナタ形式的な調のまとまりが見られます。
*5:これも二短調に則っているので、「導入」と分けずに主調主題部がすでに始まっているとも見れそうです。
*6:トッカータ的なソナタ楽章の例もベートーヴェンに色々と見出せます。
*7:二回目のスケルツォを「再現部」、マーチは流れを外れた挿入部とみて、一つながりのソナタ形式としての流れが明確になっています。一応、他の大曲群に近づけたとも言えます。
ポロネーズ第1番(憂鬱なポロネーズ)について
リストのポロネーズ第1番ハ短調(S.223/1)。「憂鬱な」(mélancolique)という副題はリスト自身が付けたものですが、EMBのリスト全集以前は省かれることが多かったそうです。
ホ長調の第2番とのセットで発表された作品ですが、第2番はSP時代からかなりの録音があるのに対し、こちらはまだまだ知られている存在とは言えません。ただその2番のほうも現在では新しい録音が次々出るという状況ではないようで、そこの隙間に復権してくれると嬉しいのですが。
作曲は超絶技巧練習曲やスケルツォとマーチと同じ1851年、ワイマール時代前半の「傑作の森」のど真ん中に位置する年代です。またリストがソナタ形式を扱った大規模作品の一つでもあり、演奏時間も12、3分と代表作群に迫る長さ。ということは今ではやや辺縁に追いやられているものの、壮年期の大作の一つとして遇されるのがふさわしいと考えています。
バラードと同様に、1849年に亡くなったショパンの影は気になるところです。随所に出てくる装飾音符や、作品を支配する物憂い雰囲気(同じ調性のショパンの4番とはあまり似ていないと思います。独特のヒロイズムは強いて言えば5番に通じるかも)には確かにショパンの雰囲気を感じるところがなくはなく、もしかするとそのために歴代のリスト弾きが取り上げてこなかったのかもしれません。ですがそういった要素は完全に換骨奪胎されていて、「リストの作品」として無視すべからざる輝きを放っていると思います。
演奏はハフ盤(Hyperion)かヨゼフ・モーク盤(Claves。なぜかレーベルがYoutubeにフルアルバムを上げています)をよく聴きます。ほかにもケントナーやマルテンポなどレパートリーに一癖あるピアニストが取り上げていて、評価される地盤は大いにある曲だと分かります。
1-7 導入
8-69 A部分 ハ短調
70-146 B部分 変ホ長調
147-214 A部分 ハ短調
215-230 B部分 ハ長調
230-298 コーダ
全体はソナタ形式として解釈可能(しかも「ソナタ形式」の形にとても忠実な)ですが、スケルツォとマーチと同様に考え、ソナタ形式の調構造を踏襲した三部形式と見てB部分を中間部、再現からが長いコーダと考えてもいいと思います。
ポロネーズリズムの短い導入*1に続いて、ハ短調でA部分が始まります。柔弱な音使いとリストにしては比較的素直な和声進行が寂寥感を醸し出します。
ポロネーズリズムによる間奏を挟んで主題が繰り返されるときには、まさにショパン流の装飾音符が追加されます。
B部分は変ホ長調に転じて雰囲気は和らぎます*2が、シンプルな旋律には影がつきまといます。109小節で繰り返されるときにはポロネーズリズムも加えて「三本の手」技法による装飾が追加。
B部分が盛り上がったところでA部分が戻ってきます。前半と同じく主題は二回繰り返されますがなかなか凝った変奏が加えられます。力強い一回目は両手のオクターヴの対話。
二回目では4拍子になって、前半の二回目同様に細かい装飾が加えられます。こちらはリスト本来の書き方に少し近いでしょうか。
装飾音符がカデンツァになってB部分が戻ってきますが、突然のフォルテで暗転しハ短調の大規模なコーダが続きます*3。B部分の動機は暗い響きに変容して*4ポロネーズリズムと組み合わされ、最後には強音ではありますが到底華々しくはない、無骨な印象の締めくくりを迎えます。
バラード第2番について
リストのバラード第2番(S.171)。1853年、ソナタの直後に完成した作品で、ロ短調という調性や作品の雰囲気からソナタの弟分(演奏時間は約半分です)とみられることが多いようですが、作品の作り方はだいぶ違うように見えます。
ソナタは断片的な性格の動機をさんざん変容させて色々な性格の楽想を生み出していますが、バラードでは主題の変容する回数はわずかで、主題たちはほとんど性格が変わらないまま、調的な脈略や書法を変化させて繰り返すことで全体を成立させています。「バラード」という題名がどこまでショパンを意識したかは分かりませんが*1、むしろバラードといってもシューベルトやレーヴェの歌曲、ショパンなら2番に近い考え方のように思います。リストは標題について何も言っていないとはいえ、ヘーローとレアンドロスにしろレノーレにしろ、物語的な説明が違和感なく受け入れられるのも主題やセクションの自立感ゆえでしょう。
第1部 Allegro moderato - Allegretto
1-23 主題A ロ短調
24-35 主題B 嬰ヘ長調
36-58 主題A 変ロ短調
59-69 主題B へ長調
第2部 Allegro deciso - Allegretto
70-95 推移前半(行進曲風)
96-134 推移後半(オクターヴトレモロ登場) 嬰へ短調
135-142 主題C 二長調
143-161 主題B 二長調
第3部
162-180 主題A 嬰ト短調
181-194 主題A ハ短調
195-224 推移(半音階パッセージの敷衍)
第4部 Allegretto - Allegro moderato
225-233 主題C ロ長調
234-253 主題B ロ長調
254-268 主題A' ロ長調
269-283 主題C 嬰ヘ長調
284-301 主題A' ロ長調
302-316 終結(主題Bによる) ロ長調
ひとまずソナタ形式ということにしますが、先に述べたような主題を大事にする書き方のせいで、二重変奏曲またはロンドをソナタ形式的に仕上げたもの、とも説明できそうです。第1部は主調主題提示、第2部は副次調主題提示、第3部が既出素材の展開で、第4部は主調での主題再現(逆順)という作りです。
(譜例はすべてJosé Vianna da Motta校訂のBreitkopf & Härtel版から)
低音の半音階に乗ってロ短調の主題Aが登場。左手の音型は半音階ではありますが小節を越えるごとにFis-Hが反復されていて、調性感自体は明瞭です。
ここまでの暗い音色とはうってかわって、高音域の開離配置で夢見るように出てくる嬰ヘ長調の主題B。それを導くLento assaiの和音はかなりモダンなテンションコードに聴こえます。
ここまでの過程は、半音下の変ロ短調とヘ長調で全くそのまま繰り返されます。唐突な遠隔調ではありますが*2いわゆる確保(対提示)にあたるものと見ることができます。またソナタや、ショパンの3番ソナタ(どちらもロ短調)、あとは二人が参考にしたかもしれないフンメルの5番ソナタ(嬰へ短調、Op.81)はみな副次調へ行く前にフラット系を経由していて、ここでは同じことを大胆な(少し乱暴な)手順で辿っているとも考えられます。
ヘ長調の第三音Aを辿って行進曲風のアレグロ・デチーゾに突入。なんとなく聞いていると序奏が終わって主部に入ったように聴こえて形式的には悩ましいところですが、副次調への長い経過部と見ます。96小節からは半音階音型が崩したオクターヴに変わって嵐が激しくなり、主題Aの順次進行型がちりばめられるようになって、113小節からは嬰へ短調で主題Aが出てきます。
また(一瞬ですが)テンションコードの導入に続き、ようやく二長調の主題Cが登場*3。ターン音型に彩られたこの主題には、二長調になった主題Bが続いて副次調主題群を形成します。
主題の後半はト長調→変ホ長調と推移し、変イ短調と異名同音の嬰ト短調で162小節から主題Aが登場して第3部に。テンポ指示はないのでアレグレットから入って次第にテンポを上げていけばいいということでしょうか。左手は冒頭と同じ単音の半音階ですが、転調しながら主題Aを繰り返すうちに片手のオクターヴトレモロ→片手単音、片手オクターヴのトレモロ→両手オクターヴのトレモロと半音階の鳴らし方が拡大していきます。
207小節がクライマックス。低音は三全音進行で強烈な効果があります。
嵐が収まり225小節でロ長調に落ち着きますが、前掲の通り主題Cはバスが第三音に置かれていて、主題Bも属音上に置かれているうえに倚音で属音が強調されるので最大限の満足は得られません。
なので、主題Aがロ長調で出てくるところでようやく主調への解決がもたらされることになります。逆順の再現によって、主題Aをドラマの終着点としながら展開に蛇足が生まれるのを避けているわけですね。本当に長調へ移しただけですがそれこそオペラティックな甘い旋律。間に嬰ヘ長調の主題Cをはさみながら主題Aを書法的に盛り上げていき、最後は主題Bを使った静かなコーダで終わります。
このコーダもソナタと同様に、力強く終わるエンディングが現行のものより前に書かれていて、現行バージョンは3つ目になります。2つ目のものは主題Bが三連符に変化するもの*4で、ペータースやブライトコップの版に印刷されて比較的前から知られています。1つ目は1992年になって知られるようになったもので、今ではヘンレ版に収録されています。