autour de 30 ans.

勉強したことを書きます

「アド・ノス」幻想曲について

コラール「アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム」による幻想曲とフーガ(Fantasie und Fuge über den Choral "Ad nos, ad salutarem undam", S.259)は、ピアノからのアプローチが圧倒的に多いリスト語りの中で、オルガン曲ということもあっていま一つ触れられることが少ないように感じます。ですがオルガンの分野では重要レパートリーのようですし、リスト本人も自信のあった(「今までの作品でも最もましなものの一つ」)ここまでの大作を脇に置いておく手はないと思います。

リストが主題を借りてきたマイアベーアのオペラ「預言者」(Le prophète)の初演が1849年で、正統派のパラフレーズ「『預言者』の肖像」(Illustrations du Prophète, S.414/1-3)を1850年に書いたのと同じ時期にこの作品も完成しています*1。リスト最初のオルガン作品で、バッハのオルガン曲の編曲(S.462/1-6)が完成したのも同時期。リストはオルガンの演奏もできたようですが、こちらではヴィルトゥオーゾとはいかなかったようで公開の演奏の記録はそれほど多くなく、この曲の初演もワイマールで働いていたオルガニストの友人が担当しています。

録音のほうは、あまりオルガンを聴く習慣がない者の意見ではありますが、複雑な響きの作品ということもあって線が聴き取れず曲の輪郭が分からないことがよくあるので、比較的明解に音が鳴って/録れているものとして、ヘルムート・ドイチュ*2のaudite盤と、マルティン・ハーゼルベックの新盤(New Classical Adventure)*3をよく聴いています。

幻想曲

1-35 導入(主題)
36-140 前半
141-229 後半 (変イ長調
230-242 Recitativo

アダージョ

243-298 第1部 嬰ヘ長調
299-356 第2部
357-446 第3部 嬰ヘ長調

フーガ

447-492 導入
493-581 フーガ1 ハ短調
582-615 間奏
616-737 フーガ2 ハ短調
738-763 コーダ ハ長調


サール番号の通り、マイアベーアの主題を使ってはいますが「編曲」とは大きく隔たったリストのオリジナル作品で、実質8小節の単一主題をもとに約30分、全三部*4の音楽を作り出す、主題変容の一つの極致のような作品です。大雑把には全曲が展開部と言っていいくらいですが、もう少しきちんと見ると、R. Larry Toddが言うように*5ピアノソナタとはちょうど反対に、多部分的な全体構成へとソナタ形式の要素を流し込んだつくりを見ることができます。

ちなみに、ロイプケのオルガンソナタ詩篇94番」ははっきりとこの曲をモデルにしていて、同じハ短調で、導入とアレグロアダージョ、二つのフーガ、の同じ三区分を単一主題で作り上げています。ただしロイプケの作品の第一部は、Larghettoが主調主題、Allegro con fuocoからを展開部とする充足したソナタ形式(あるいは三部形式)と見なせ、リストのものよりも「二重機能形式」の色が濃い作りをしています*6。ちなみにこちらも「アド・ノス」と同じ理由で、ミヒャエル・ショッホのOehms盤とベルナルド・レオナルディのAudite盤をよく聴きます。

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(Brandus版のヴォーカルスコアから)

主題となるのはオペラの第一幕、三人のアナバプティスト(再洗礼派)が初登場して農民たちをオルグしていく場面で歌うラテン語の聖歌です。彼らを含むアナバプティストたちは主人公のジャンを(偽)預言者にいただいて貴族へ反乱を起こす、劇の中でも重要な役割を担っていますが、彼らが善良な存在ではないことを思い起こさせるように、後の幕でもこの陰気な主題はライトモティーフ的に何度か出てきます。訳は文献によって違っていて、ウォーカーによると「来たれ、不幸なる者よ、我らのもとへ来たれ、癒しの水のもとへ戻り来たれ」という感じだそうですが、日本語のタイトル定訳は「私たちへ、救いを願う人々へ」のようです。

このうちリストが使ったのは初めの9小節で、しかも5小節+4小節の前半と後半はしばしば分割されて登場します。

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(ここから譜例はすべてKarl Straube校訂のPeters版から)

最初に主題が(やや変形して)現れます。C音ペダルに乗った明瞭なハ短調ではありますが、フレーズの切れ目ごとに減七和音のクラッシュが挟まれて音楽の印象はかなり不安定です。

短いレチタティーヴォを挟んで、36小節から四声体でいよいよ本格的な変容が開始。ここからはほとんど調性が安定することなくひたすらに転調と不協和音を多用した主題の変容を続けていきます。74小節で音型がアルペジオに変わったところはト短調がはっきりと聴き取れますが長続きはしません。

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132小節から足鍵盤のトリルの上でト短調の主題が現れたのがきっかけになって、141小節で変イ長調が確立し、ファンファーレ風の新しい楽想が現れて副次調部分が始まります*7。今までは主題の前半しか使っていなかったのに対し、ここで初めて後半が使われ、これ以降は下降跳躍で始まるこの後半部が中心となって進んでいくことになります。

不安定な調での展開が続き、203小節で、As音を含む減七和音を中心にしたクライマックスに到達。As/Gis音を軸にした推移はカデンツァやレチタティーヴォで静まっていきます。

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アダージョ部は嬰へ長調に落ちつき、ここで初めて主題が連続した形で演奏され、すぐに和音を伴って現れます。フォルテは一度も現れず、転調を見せる部分でもここまでの激しい展開とはまったく性格の異なる、天国的な響きを聴かせます。

このアダージョ部分は、299小節からの展開的な部分を挟んで三部分からなると見ることができるでしょう。ただし261小節からのcisからバスが下がっていく楽想が、434小節で現れるときはfis音から始まるあたり、ソナタ形式の雰囲気も感じます。

安らかなアダージョは最終的に変イ長調の和音で断ち切られ、447小節から減七の和音と主題冒頭の二度下降動機による嵐のような間奏が始まります*8ハ短調の属和音で次の部分へ。

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ハ短調が確立し、主題が厳めしい付点リズムで出てきて四声のフーガが始まります。これはリストが本格的にフーガを作品へ取り入れた最初の例ですが、不協和音程が頻発する型破りな書き方で、こうしたリストのフーガの捉え方は、若い頃に教えを受けたアントワーヌ・ライヒャがやはり型破りな考え方の作曲家だった影響を受けたのではないかと指摘されています*9

転調を繰り返し、遠く離れた嬰へ短調で573小節からのクライマックスを築くと、嬰へ長調となって第一部のファンファーレ楽想が登場し間奏が始まります。十六分音符のパッセージが支配するようになると、再びハ短調属和音に行き着いて次の部分へ。

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威厳を放っていた第一フーガに対して、第二フーガは初めから早いパッセージが途切れることなく、切迫感の中で展開していきます。

657小節では変ホ長調で主題が現れ、明るい終結を予感させます。しかしヘ短調(665小節)からロ短調(675小節)への大転調を経て、689小節で意気揚々と出てくる主題はロ長調!です。このままでは終わらせることはできないわけで、減七和音の連続する転調を挟んで、712小節でようやくG音のペダル持続に到達し、結論が見えてきます。

第一部はハ短調で始まり、常に調性は定まらなかったものの、安定した響きが聴こえるのはト短調変イ長調といった近親調でした。しかしこの第三部では、ハ短調に嬰へ長調ロ長調が対置され、調の対立は激化しています*10。この曲の全体像はソナタ形式の要素を持ってはいますが、愚直なまでの「再現部」をロ(長)調へ収斂させるピアノソナタと比べると、似た作りではありますが違いがはっきりします。

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コーダでは待ちに待ったハ長調、再強奏で主題が登場。大詰めはドミナントを通らずサブドミナント方面に響きが振れて、プラガル終止で荘厳に曲を閉じます。

 

編曲はいくつか存在します。マルセル・デュプレのオルガンと管弦楽のための編曲(c.1930)は、オルガンのマッシヴさを残したまま色彩と線の明確さを増す効果があって、(自分を含め)オルガンを聴くのにあまり慣れていない聴き手が作品に近づくには絶好の編曲だと思います。ただ原曲が十分にカラフルなので、オルガン版に親しんでいればやらずもがなという感じはあるかもしれません。

リスト自身はピアノ連弾のための編曲を残しています(S.624)。初版譜にオルガン譜と並べて発表されたもので(だから場所によっては見た目に七段譜となる)基本的にはオルガンの足鍵盤をセコンダが弾くのに終始し、そのほかの書き換えは控えめです。なので、編曲作品としての楽しみではブゾーニによるピアノ独奏編曲(1897)のほうが上でしょう。どちらも録音は複数あります。

ブゾーニの編曲は、リストの熱心な支持者でバッハのオルガン曲の名編曲も多く残している彼らしい充実したものですが、二手で効果を挙げるために随所でテクスチュアを書き換え、いくらかカットもあるのが評価の分かれるところではあります。ハワードはブゾーニ編を「リストの作品というよりもブゾーニの編曲だと感じさせる」と評して、オルガン版のテクスチュアをあまり変えずに重い響きが得られる連弾版のほうを全集に入れています。個人的にはどちらも甲乙付けがたいような気がするものの、原曲を思い出さなければブゾーニの編曲は十分にリスト的で、ワイマール期リストのピアノ作品の延長線上として聞くにはブゾーニ版のほうが入りやすいのではないかと思うのですが。

*1:1842年から作曲が始まったと書いている本もありますがそういう記録があるのでしょうか。オペラは30年代から作業が始まっていたようで、リストはマイアベーアとも親交があったのでありえない話ではないのですが。ちなみに1852年に作品を献呈されたマイアベーアは喜んでいたようです。

*2:名伴奏者とは別人

*3:初演を行ったメルゼブルク大聖堂のオルガンが使われています。

*4:タイトル通りに見れば初めの二つは「幻想曲」として括ったほうがいいのでしょうか。

*5:http://www.jstor.org/stable/746698 かなり詳細な分析で本稿でも大いに参考にしていますが、全面的な賛同はしません。

*6:同じようにリストの例に則りながら、充足したソナタ形式の第一部や、トリオを持つスケルツォが含まれるピアノソナタと同様に。

*7:Toddはト短調が副次調、変イ長調で展開部が始まるとしていてとても自然な見方ですが、後の展開を考えてもハ短調変イ長調の枠が規定されていると見たいです。

*8:最初に鳴るのはAsを含む減七和音ですが、アダージョに入る前の238-241小節も、同じ減七和音へと変イ長調和音から進行します。ここから、アダージョ部はソナタや演奏会用大独奏曲と同様の挿入部としての位置付けだと考えられます。

*9:余談。サン=サーンスはフランクのPCFを「フーガでない」と断じましたが、同時に彼はこの「アド・ノス」を愛奏しています。フランク作品への批判が、古典的な規則に沿っていないだとかではなく、「果てしない脱線が続く」continue par d'interminables digressionsと言う通り、対位法的な展開からすぐに逸れることを問題視したものだという傍証でしょう。

*10:主調復帰のクライマックスを先延ばしにしようとする、まさにロマン派的な手段です。

「スケルツォとマーチ」について

リストの「スケルツォとマーチ」(Scherzo und Marsch, S.177)。1851年作曲開始、1854年出版というリスト壮年期の作品ですが、それにしてはマイナーで、ただしソナタに繋がっていく大作の一つとして評価すべきという声が近年高まっている、という感じでしょうか。

ただしホロヴィッツの録音をはじめとして決して全く知られていない部類には入らず、どちらかと言えば「マイナー曲としてメジャー」というよくあるパターンに入っているのではないかと思います。それなりの知名度がある理由の一つとしては、献呈されたクラクもタウジッヒも弾きこなせず、リスト本人も弾かなかった(byハワードさん。"neither Kullak nor Tausig could bring the piece off in performance" "he never played it himself")という難易度のせいでしょうか*1。ただしウォーカーの伝記や新リスト全集の解説によればタウジッヒは何度もこの曲を演奏会に上げていて、リスト本人も弾いたことがあるとのことで、話の詳しい出所を知りたいところではあります。

この作品の黒々とした魅力(陰気というわけでもないのです)は、ソナタを取り囲む大曲群の中では異彩を放っています。基本的にすべて闘争・苦悩から和解・救済に進む図式をとっているあれらと違い、どちらかというとこの作品は、シューベルトベルリオーズウェーバーあたりが流れを作り、リストを通過して「死の舞踏」*2や「呪われた狩人」や「夜のガスパール」を生んだような、禍々しい表現の系譜に属する作品のように思います*3。リストの作品で言えばメフィストワルツ群や、ファウスト交響曲の第3楽章と並べるのが、最もよく作品の立ち位置を説明するように感じます。

スケルツォ

1-18 導入
19-115 主題群A 二短調
116-137 主題群B イ短調
138-153 小結尾 イ短調
156-275 主題展開(200~ フガート)
276-341 主題群A再現 ニ短調
342-363 主題群B再現 ニ短調
364-387 小結尾 ニ短調

マーチ

388-422 マーチ主題 変ロ長調
423-449 推移
450-477 マーチ主題(強奏) 変ロ長調

スケルツォ

478-495 導入
496-566 主題群A 二短調

マーチ

567-589 推移(マーチ主題による)
590-597 マーチ主題 二長調
598-619 コーダ(スケルツォ主題群による)

 

単一楽章の中に二つのテンポが共存している形で、ロンド形式だったり展開と再現が二回あるソナタ形式だったりの説があるそうですが、自分では、スケルツォとトリオの形式(スケルツォ単独でソナタ形式になっているのは「第九」などに例あり)にソナタ形式の調構造を持ち込んだ、と理解しています。

同時期の大作群が基本的に、単一楽章のソナタ形式が肥大していくなかで各部分の独立性が増していったり、新たな材料が挿入されていったものだと考えるなら、この作品の場合は二つの別々のもの(それぞれ調性的・形式的に完結している)を接合して一作に仕立てた、という違いを見ることができます。リストに関わる前例で言うなら、前者はさすらい人幻想曲、後者はウェーバーのコンツェルトシュテュックや「ウィリアム・テル」の序曲を思い起こさせるところです。新リスト全集の解説はベートーヴェンソナタ作品における楽章連結を引き合いに出しています。

別々なものを接合して大作を作るといえば、リストの作品ではヴィルトゥオーゾ時代を中心に書かれたオペラ(等)ファンタジーの先例があります。ですがこれらの作品が基本的に調的一貫性を無視しているのに対し*4ソナタ形式の枠を忘れないでまとめ上げたところが、この作品がソナタ関連の重要作品の一つと見なされる理由なのではないかと考えます。

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装飾音符がうごめく導入*5に続き、半音のトリル音型を中心にしたスケルツォが走り出します。色々と変形されながらも、トリル音型とその変形はスケルツォ部のかなりを支配することになります。

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細かな動きを基調にした展開を打ち破る豪快な楽想。

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属七和音での予示を経て、イ短調で副次調主題Bが力強く出現。主調主題群が基本的にトッカータ的・練習曲的で主題としての堅固さが弱いのに対してこちらは強い存在感を放っていて、ロマン派のソナタ形式の第二主題重視という路線に則っています。コデッタは導入部の動機、主題群A冒頭の旋律線、主題Bの動機を接続して静まっていきイ調で終止。

導入の再現に始まる展開部はロ短調を基調にし、主題Bに基づくフガートがかなりの比重を占めます。再現部はトリル音型を二音に集約した楽想で始まり、その後リスト作品としては異例なことに型通りの再現部が続き二短調できっちり終止します。このスケルツォ部は「ソナタ形式」のモデル通りの作りといい、少ない素材、というか細胞(他の大曲群に比べても断片的な素材の積み重ねです)の色彩を変えながら曲を進めているところといい、どうしてもベートーヴェンに触れたくなるところです*6

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低音域で鬱蒼と始まるマーチ。リストによればベートーヴェンシューベルトを意識したそうですが、響き自体は完全に独自のものです。変ロ長調ですが執拗なges音(モルドゥア)に、左手の空虚五度と装飾音符が極めて妖しい雰囲気を醸し出します。

このマーチ部は単独で三部形式として整理できそうです。三全音関係のホ長調へ一度転調していった後、低音に頭が欠けた三連符の動きが現れて(二度の動きはA主題がもとでしょうか。そもそもマーチ主題も二度の動きですね)ふたたびマーチ主題が変ロ長調で力強く演奏されます。

マーチは変ロ長調の七の和音に落ち込んで中断、再びスケルツォの導入と主題群Aがほぼそのまま再現されます。

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スケルツォを断ち切った減七和音を引き継ぎ、マーチ主題の動機を使ったストレッタの推移で一ページ以上緊張感を高め続けたあと、マーチ主題が高らかに帰ってきます。

確かにニ長調には違いないのですが、普段リストが終結に持ってくるような、時に理想的すぎるまでに曇りのない帰結とは明らかに違っています。高らかに鳴るb音、左手の空虚五度、c-h-b-aのバスは強く二短調を志向し、この後に出てくるB主題もesとbが含まれて旋法的な妖しさを放っています。ケントナーの表現だと「あたかも信仰と悪魔が戦うように。最後には信仰が勝ちを収める」そうですが、どうもまともな信仰とは思えません。最後の最後にスケルツォのトリル音型が低音で蠢くのを見ても、異形のもの同士が手を組んで嘲笑うなかの終結と言われたほうが頷けます。

 

この曲は長らく一つの稿だけで知られていましたが、1851年1月の日付がある初期稿が近年になって発見され、2009年に初出版されたそうです。初稿の段階で付けられていたタイトル、"Wild Jagd"(幽鬼の狩り)は結局超絶技巧練習曲の第8番にスライドするわけですが、よりデモーニッシュさに支配されたこっちの曲のほうが似合っているような気がします。あまりにはまりすぎていて描写音楽的に軽く見られてしまう危険もなくはないところですが。

パッセージの細かな違いを無視するなら主要部分は初稿でほぼ出来上がっています。大きな違いとしては最終稿で2/4と6/8が交錯するようになっているのが一貫して6/8で通して音が増えているのと、序奏で出てくる下降モチーフを取り上げた推移部がスケルツォ展開部の終わりと二度目のスケルツォの導入後に挿入されているあたりでしょうか。

ホロヴィッツの1967年録音も一つのバージョンとして考えてよいでしょう。最初のスケルツォにおける主題再現をほとんど取っ払ってすぐにコデッタへ繋いでいる上、ニ長調のマーチ主題再現をカットしており、より全体としての流れを重視した*7構成になっています。これには原曲の構成を破壊したとして否定的な意見もあり、自分も確かに物足りない感じはあります。ただ、改訂が進むに従って「形式上仕方なく必要だった部分」を取り除く傾向があったリストの作品としては、再構成の一つの方法としてそう無下にするものではないかな、と思います。

*1:超絶技巧練習曲第2版やパガニーニ練習曲初版がそれなりに有名なのと同様に。ただしこの曲の「演奏困難」は少し毛色が違う気がします。むしろ左右交互のパッセージ(ニューグローヴ曰く、メカニカルにでなく心理的な面で大変なんだそうですね)が延々と続く特殊性だったり、もしくはハミルトンによればソナタですら1880年代まではビューロー以外ほとんど演奏されなかった(その例外がサン=サーンスだとか)のと同様に、この異様な作品自身が理解されていなかったのが理由と言われたほうが腑に落ちます。

*2:Danse Macabre

*3:ちなみに、さらに近いところだとタウジッヒのバラード「幽霊船」はこの曲の影響を受けたのではないかと勝手に思っています。

*4:ドンファンニ短調変ロ長調、ノルマがホ短調変ホ長調ユグノー教徒が変イ長調ロ長調、スペイン狂詩曲が嬰ハ短調ニ長調。ただし初期の作品「ロッシーニとスポンティーニの主題による華麗な即興曲」S.150は興味深く、ホ長調ロ長調変ロ長調変ホ長調の四つの旋律によるポプリなのですが、第二の旋律が最後にホ長調で帰ってくることでソナタ形式的な調のまとまりが見られます。

*5:これも二短調に則っているので、「導入」と分けずに主調主題部がすでに始まっているとも見れそうです。

*6:トッカータ的なソナタ楽章の例もベートーヴェンに色々と見出せます。

*7:二回目のスケルツォを「再現部」、マーチは流れを外れた挿入部とみて、一つながりのソナタ形式としての流れが明確になっています。一応、他の大曲群に近づけたとも言えます。

ポロネーズ第1番(憂鬱なポロネーズ)について

リストのポロネーズ第1番ハ短調(S.223/1)。「憂鬱な」(mélancolique)という副題はリスト自身が付けたものですが、EMBのリスト全集以前は省かれることが多かったそうです。

ホ長調の第2番とのセットで発表された作品ですが、第2番はSP時代からかなりの録音があるのに対し、こちらはまだまだ知られている存在とは言えません。ただその2番のほうも現在では新しい録音が次々出るという状況ではないようで、そこの隙間に復権してくれると嬉しいのですが。

作曲は超絶技巧練習曲やスケルツォとマーチと同じ1851年、ワイマール時代前半の「傑作の森」のど真ん中に位置する年代です。またリストがソナタ形式を扱った大規模作品の一つでもあり、演奏時間も12、3分と代表作群に迫る長さ。ということは今ではやや辺縁に追いやられているものの、壮年期の大作の一つとして遇されるのがふさわしいと考えています。

バラードと同様に、1849年に亡くなったショパンの影は気になるところです。随所に出てくる装飾音符や、作品を支配する物憂い雰囲気(同じ調性のショパンの4番とはあまり似ていないと思います。独特のヒロイズムは強いて言えば5番に通じるかも)には確かにショパンの雰囲気を感じるところがなくはなく、もしかするとそのために歴代のリスト弾きが取り上げてこなかったのかもしれません。ですがそういった要素は完全に換骨奪胎されていて、「リストの作品」として無視すべからざる輝きを放っていると思います。

演奏はハフ盤(Hyperion)かヨゼフ・モーク盤(Claves。なぜかレーベルがYoutubeにフルアルバムを上げています)をよく聴きます。ほかにもケントナーやマルテンポなどレパートリーに一癖あるピアニストが取り上げていて、評価される地盤は大いにある曲だと分かります。

1-7 導入
8-69 A部分 ハ短調
70-146 B部分 変ホ長調
147-214 A部分 ハ短調
215-230 B部分 ハ長調
230-298 コーダ

全体はソナタ形式として解釈可能(しかも「ソナタ形式」の形にとても忠実な)ですが、スケルツォとマーチと同様に考え、ソナタ形式の調構造を踏襲した三部形式と見てB部分を中間部、再現からが長いコーダと考えてもいいと思います。

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ポロネーズリズムの短い導入*1に続いて、ハ短調でA部分が始まります。柔弱な音使いとリストにしては比較的素直な和声進行が寂寥感を醸し出します。

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ポロネーズリズムによる間奏を挟んで主題が繰り返されるときには、まさにショパン流の装飾音符が追加されます。

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B部分は変ホ長調に転じて雰囲気は和らぎます*2が、シンプルな旋律には影がつきまといます。109小節で繰り返されるときにはポロネーズリズムも加えて「三本の手」技法による装飾が追加。

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B部分が盛り上がったところでA部分が戻ってきます。前半と同じく主題は二回繰り返されますがなかなか凝った変奏が加えられます。力強い一回目は両手のオクターヴの対話。

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二回目では4拍子になって、前半の二回目同様に細かい装飾が加えられます。こちらはリスト本来の書き方に少し近いでしょうか。

装飾音符がカデンツァになってB部分が戻ってきますが、突然のフォルテで暗転しハ短調の大規模なコーダが続きます*3。B部分の動機は暗い響きに変容して*4ポロネーズリズムと組み合わされ、最後には強音ではありますが到底華々しくはない、無骨な印象の締めくくりを迎えます。

*1:晩年に編曲した「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズもよく似た始まりです。

*2:旋律が細かく屈折するA部分とおおらかな一つながりに歌うB部分の対比もあります。

*3:主調再現の部分が充実するとコーダが長くなるのはベートーヴェンの作例と共通するところです。

*4:暗→明の順序での変容が多いリスト作品では珍しい。