autour de 30 ans.

勉強したことを書きます

エルガー:交響曲第2番-作曲タイムライン

エルガー交響曲第2番は、彼の創作の頂点の一つをなす作品と言っていいでしょう。その作曲についての各段階とその周辺の各種事象を、Jerrold Northrop Moore による伝記 Edward Elgar: A Creative Life (Oxford University Press, 1984) を中心に、できるかぎり拾ってみます。特記がなければエルガー自身の行動を、曲名について特記がなければ交響曲第2番を指しています。

いくつか思ったこと。

  • 断片的な楽想を折にふれスケッチして、タイミングが来ると一気にまとめあげていく(なのでおしなべて構想期間が長く、本格的な作曲期間はそこまで長くない)作曲法のせいで、エルガー作品の作曲時期は簡潔に言うのが困難になりがちに思います。
  • さらに「今後の作品についての噂を煽るのに抵抗がない」*1エルガーの性向と、周囲からの期待が合わさって流れた情報が混乱を増幅します。
  • (第1番でなく)第2番の解説でよく「ゴードン」交響曲が言及されるのは、第2番の「英雄」的ないでたちが理由でしょうが*2、この間のさんざんな紆余曲折を考えると、どれだけ構想として共通のものが残っているのか。
  • Mooreの伝記はきわめて詳細でさまざまなことを学べますが、時系列順に従ったところとトピックでまとめたところ、伝記的事項と作品の分析が複雑に混在していて、特定のトピックについて理解するのに一手間かかる印象。Michael Kennedy の伝記が読みやすさでは勝っていると思います。

 

1898年

10月 チャールズ・ジョージ・ゴードン将軍を題材にした交響曲を構想する。翌年9月の音楽祭で初演する計画。(pp. 246-247)

1899年

11月 アウグスト・イェーガー(『エニグマ変奏曲』の「ニムロッド」)から「ゴードン」交響曲の進捗を訊かれ、「主題を一つ書いた」と返信する。(pp. 294-295)

1900年

11月 指揮者アルフレッド・ロードウォルド(のちの『威風堂々』第1番初演者)と親しくなり、交響曲の計画を打ち明ける。ロードウォルドは支援を約束。(p. 338)

1901年

1月20日 妻アリスが「これ以上高貴な音楽はないだろう」「交響曲」に言及する。のちの『威風堂々』第1番トリオの旋律か? (pp. 340, 343)

10月25日 指揮者ハンス・リヒターへの手紙で「わたしが書いている交響曲」に言及、リヒターへの献呈の計画にも触れる。(p. 358)

10月26日 イェーガーから、ヘンリー・ウッド(指揮者、「プロムス」の創設者)が交響曲の演奏を望んでいると知らされる。*3

1902年

11月 1904年10月のリーズ音楽祭で初演する新作を依頼され、交響曲の作曲をほのめかす。 (p. 376)

1903年

3月 リーズ音楽祭との交渉進む。交響曲の作曲を承諾。 (p. 398)

10月11日 リヒターへの手紙で「ハンス・リヒターに捧げる変ホ長調交響曲」に言及。*4

10月 交響曲第1番が完成間近との噂が流れる。リーズ音楽祭の交響曲初演計画破棄。(p. 420)

10月? 第4楽章[155]の素材がスケッチされる。(pp. 420-421)

11月9日 アルフレッド・ロードウォルド死去。(p. 423) 

11月28日 翌年3月のエルガー音楽祭に関して、「リーズ音楽祭のためと公表されていた交響曲」が初演されると誤報が流れる。 (p. 445)

12月11日-翌1月30日 イタリアのアラッシオ滞在。(pp. 424, 431)

12月31日 ローザ・バーリー Rosa Burley に(のちの)第4楽章の一部を聴かせる。(pp. 425, 595-596, 609)

1904年

1月 交響曲がドイツのエッセンで初演されるという噂が流れる。*5

5月? (のちの)第2楽章の素材の一部([74])がスケッチされる。『コケイン』第2番の構想(実現せず)と同時期。*6

1905年

2月13日 リヒターに交響曲の作曲が進んでいないことを報告。(p. 455)

10月? 「ハンスその人」と記された主題がスケッチされる。(p. 470)

1906年

? 第2楽章冒頭の原型がスケッチされる。*7

1907年

6月27日 (のちの)交響曲第1番の循環主題をスケッチ。(pp. 514-515)

12月3日 オラトリオ『最後の審判』の計画を放棄したとノヴェロ社のアルフレッド・リトルトン Alfred Littleton に伝える。交響曲第1番のショートスコア作成開始。(p. 520)

1908年

9月25日 交響曲第1番完成。(p, 542)

12月3日 交響曲第1番初演。(pp. 544-546)

1909年

4月-5月 イタリア旅行、フィレンツェ近郊の別荘カレッジ Careggi に滞在。第1楽章 [5] の動機をスケッチ? (pp. 551, 595)

5月18日 アウグスト・イェーガー死去。(pp. 553-554)

6月 イタリア旅行の最後にヴェネツィアを訪れる。(p. 554)

11月11日 ロンドン・フィルハーモニック協会からヴァイオリン協奏曲の作曲を依頼される。(p. 557)

12月21日 ヘンリー・ウッドの妻オルガ死去。(p. 561)

12月末 ベイジル・ネヴィンソン(『エニグマ変奏曲』の「B.E.N」)死去。(p. 563)

1910年

4月3日-5日 ティンタジェルにアリス・スチュワート=ウォートリーを訪ねる。(p. 573)

4月11日 ドーラ・ペニー(『エニグマ変奏曲』の「ドラベッラ」)に(のちの)第2楽章を聴かせる。同日、リヒャルト・シュトラウスの歓迎会に出席。主催者のエドガー・スパイヤー Edgar Speyer(社会事業で知られた銀行家)から翌年5月初演の新作を依頼される? (pp. 573-574)

4月13日 エドガー卿(スパイヤー)から小切手入りの手紙を受け取る。(p. 574)

4月中旬 小切手は一度返送したが、エドガー卿との交渉の結果、交響曲の作曲を承諾したと思われる。(p. 574)

4月22日 友人クロード・フィリップス Claude Phillips に協奏曲と交響曲第2番の一部を聴かせる。(p. 574)

5月6日 エドワード7世危篤の報が流れる。深夜に崩御。(p. 579)

5月7日? ハウ伯爵 Richard, 4th Earl Howe に葬送行進曲の提供を申し出る手紙を書くが、王の葬儀までに練習する時間がないとして断られる。交響曲の第2楽章か? (p. 580)

8月初め ヴァイオリン協奏曲完成。(p. 587)

10月初め 友人のチャールズ・サンフォード・テリー Charles Sanford Terry に第1~第3楽章のそれぞれ冒頭部分を聴かせる。第2楽章はサンマルコ聖堂の内装、第3楽章は広場の印象と説明。(p. 595)

11月10日 ヴァイオリン協奏曲初演。おおむね成功を収める。(pp. 591-594)

11月末 本格的に交響曲の作業開始。日付スタンプを購入し、スケッチに日付が詳しく記録されるようになる。(p. 595)

11月25-26日 第1楽章 [55] 前後の素材、第4楽章コーダをスケッチ。(p. 595)

11月27日 第1楽章 [28] の原型をスケッチ。「交響曲第2番の最初のスケッチ、幽霊」と書き込み。*8

12月3-19日 総選挙が行われる。11月30日-12月7日はロンドンで暮らす。(pp. 596-597)

12月13日 第2楽章 [69] の素材がスケッチされる。(p. 597)

12月14日 ドイツのクレーフェルトを訪れる。クリスマスまでに帰宅。(p. 598)

12月29日 第2楽章 [74] を作曲。(p. 598) 第3楽章 [106] をスケッチ? *9

12月30日 ヴァイオリン協奏曲に使われなかった素材を第3楽章の構想に組み入れる。[100]  *10

12月31日 リヴァプールを訪れる。

1911年

1月4-5日 チャールド・サンフォード・テリーにスケッチを演奏し、作品について語る。(p. 601)

1月5-6日 第1楽章序盤をスケッチ。(p. 601)

1月8日 体調を崩して「午後までベッドにいた」。(p. 602)

1月10日 アルフレッド・リトルトンに手紙で「仕事が完全に遅れていて、交響曲第2番には重大な不安を抱いている」と語る。(p. 602)

1月12日 第1楽章 [15] を作曲。(p. 602)

1月14日 第1楽章 [20] を作曲。(p. 602)

1月16日 ロンドンで演奏会。その後一週間はロンドンで作曲し、家族は引っ越し先を探した。(p. 603)

1月21日 第1楽章展開部中盤([30]?)を作曲。(p. 603)

1月28日 第1楽章完成。(p. 604)

1月29日 第1楽章のスコアをノヴェロ社に送る。(p. 604)

1月30日 第2楽章作曲開始。(p. 604)*11

2月6日 第2楽章完成。(p. 606) 第3楽章 [109] の楽想をスケッチ*12

2月7日 第2楽章のスコアをノヴェロ社に送る。(p. 606)

2月9日 第3楽章作曲開始。(p. 607) スケッチは少ないかわり、事前の「計画」に従って進められた。*13

2月16日 第3楽章完成。(p. 608)

2月17日 ロンドン交響楽団の指揮者就任を受諾。(p. 609)

2月28日 第4楽章完成。(p. 611)

3月中旬-5月9日 アメリカへの旅行。(pp. 612-614)

3月24日 アリス・スチュワート=ウォートリーへの手紙で「あなたの交響曲」と言及。*14

5月1日? アーネスト・ニューマン Ernest Newman による分析記事が出版される*15

5月17日 初演の練習開始。翌日から報道される。(p. 614)

5月22日 ロンドン音楽祭開幕。22日にヘンリー・ウッド指揮で『ジェロンティアスの夢』、23日にウッド指揮、クライスラー独奏でヴァイオリン協奏曲演奏。(p. 615)

5月24日 朝に最終リハーサル、夜の演奏会で初演。(pp. 614-617)

*1:Michael De-La-Noy, Elgar, the Man. (Allen Lane, 1983) p. 97

*2:重要な楽想のスケッチが早くから存在していたことにも触れられますが、第1番についても事情はそれほど変わらないでしょう。

*3:Michael Kennedy, Portrait of Elgar (Third ed.) (Oxford University Press, 1987) p. 214.

*4:Kennedy (1987). pp. 214-215.

*5:Kennedy (1987). p. 214

*6:Kennedy (1987). p. 214

*7:Christopher John Kent, Edward Elgar: a composer at work; a study of his creative processes as seen through his sketches and proof corrections. (Doctoral Dissertation. 1978, King's College London) p. 186.

*8:Kent (1978). p. 184

*9:Kent (1978). p. 191

*10:Kent (1978). p. 191

*11:第2楽章の成立については日本語論文もあります。道廣真衣「E. エルガーの交響曲第2 番op.63における作曲過程: 第2 楽章を中心に」(『人文論究』63巻1号、関西学院大学、2013)

*12:"windflower" と付記。 Kent (1978). p. 189

*13:Kent (1978). pp. 188-189

*14:Kent (1978). p. 180.

*15:
Tom Kelly "Redeeming the Second Symphony". The Elgar Society Journal, Vol. 18, No. 1 (April 2013). p. 18.

2拍子系のパスピエ

ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』(1890–91/1905) の第4曲「パスピエ」Passepied は、19世紀以降にこの舞曲の名を冠した作品のなかでも最も知られているものと思います。

バロック期の組曲を下敷きにした『ベルガマスク組曲』を締めくくる、快速の4拍子の舞曲なわけですが――18世紀以前の作品ではよく知られているだろうJ.S.バッハの諸例*1に表れているように、バロック期のパスピエは速い3拍子の舞曲で、「速いメヌエット」とも説明されます。

「フランス風序曲」BWV 831 から

バッハへの影響元でもあるフランス音楽から、フランソワ・クープランによるパスピエも同様です。2段目の後半にあるヘミオラ――小節線を抜いて記譜されています――が特徴的。

クラヴサン組曲、第2オルドルから

しかしさらに時代を遡り、16世紀後半にブルターニュの舞曲として言及が現れはじめたころの「パスピエ」は大きく違う舞曲だったと考えられます。プレトリウス『テルプシコーレ』(1612出版) に収められたいくつかの「パスピエ」は快活な2拍子で、3小節単位のフレーズが特徴的です。ニューグローヴによると17世紀後半、ルイ14世治世下に(ふたたび)現れたときこの舞曲はすでに3拍子の形になっており、両者がどのように関連しているのかはよくわかっていないようです。

(ed. Günther Oberst. George Kallmeyer, 1928)

ドビュッシーに話を戻すと、彼が「パスピエ」を作曲するにあたって意識していた先行作品は、まずフォーレの「パヴァーヌ」(1886) の名を挙げられるでしょう。調性(嬰ヘ短調)や伴奏形の一致に加え、ドビュッシー作品は出版直前まで「パヴァーヌ」と題されていたことも傍証になります。

では最終的にこの音楽が「パスピエ」と題された所以はというと、ドリーブの劇付随音楽『王は楽しむ』(1882) に含まれる「パスピエ」が出所の候補ではないでしょうか。ヴェルディ『リゴレット』の原作にもなったユゴーの戯曲に付した一連の舞踏音楽の一曲で、旋法的でアルカイックな響きや伴奏のテクスチュアは確実にドビュッシーと共通するものがあります。

(arr. for piano by the composer. Arthur P. Schmidt, 1885)

www.youtube.com

当時ルネサンスの器楽の資料は限られていたなかで*2、問題はドリーブがなにを参照したのかということですが、親交があったと思われる*3舞踏家のロール・フォンタ Laure Fonta が情報源として有力なようです*4。彼女は1888年にトワノ・アルボの舞踏指南書『オルケゾグラフィ』(1589) を復刊しており、彼女による解説のなかで、アルボの言う2拍子の踊り「トリオリ」Triory de Bretagne は「ブルターニュのパスピエ」のことだと説明されているのです。『王は愉しむ』の舞台設定はフランソワ1世在位期 (1515-1547) であり、ガイヤルドとパヴァーヌ、マドリガルに加えて2/2拍子のパスピエを配した選択はいちおう平仄が合っています。もちろんほかの楽章が古風なリズムにある程度従っているのと比べてみても、拍子以外はルネサンス期のものと似ても似つかないわけですが、『オルケゾグラフィ』が掲げる譜例はメロディだけであり伴奏を含めたリズムについては再解釈の領分だったでしょう*5

バロック流の3拍子のパスピエは、モーツァルトが『イドメネオ』のために書いたバレエ音楽 (1781) まではひとまず命脈を保ちますが、その後ドリーブまでの100年間がどうなっていたのか、少なくとも例を見つけるのが難しいということは言えるようです。ともあれ20世紀にはほかの古い舞曲形式と同様にパスピエも復活を果たし、ドリーブ/ドビュッシー系の2拍子のもの(シャミナードのOp. 95-1、ジョンゲンのOp.102-2、ヴォーン=ウィリアムズの「バレエ組曲」Suite de Ballet 、タンスマン『インヴェンション』*6など)とバロック風の3拍子のもの(プロコフィエフ『シンデレラ』、R.シュトラウス『カプリッチョ』など)が共存する形になります。

*1:譜例を出した『フランス風序曲』のほかにも、管弦楽組曲第1番、イギリス組曲第5番、パルティータ第5番に採用されています。そのほかゴールドベルク変奏曲の第19変奏や、「平均律」第2巻24番フーガがパスピエとみなされるのもこの3/8拍子を前提としています。

*2:例えば1856年にドイツで出版されているA.ルビンシテインのOp. 38-9は3/8拍子であり、19世紀半ば刊行のラルース百科事典でも、パスピエは3/8拍子の舞曲とされています。Grand dictionnaire universel du 19e siècle, française, historique, géographique, mythologique, bibliographique, littéraire, artistique, scientifique, etc : Larousse, Pierre, 1817-1875 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

*3:彼女は『コッペリア』初演にも参加していました。

*4:Carlo Caballero "Pavanes and Passepieds in the Age of the Cancan". ''Musicology and Dance: Historical and Critical Perspectives''. (Cambridge University Press, 2020) の考察によります。

*5:Caballeroによると、『王は愉しむ』の音楽には、実際に『オルケゾグラフィ』から旋律を採った "Belle qui tiens ma vie" などほかにも複数のパヴァーヌがあったため、この曲も実質的にはパヴァーヌだったがその名称を避けたのではとのことです。

*6:「バッハへのオマージュ」と題され多声的に書かれていますが、拍子選択はバッハに倣わず4/2拍子で、あえて言えばアルマンド的です。

Parsifal ohne Worte - 2

quasifaust.hatenablog.com

パルジファル』の管弦楽抜粋を組曲/ポプリに仕立てたものは、楽譜が出版されているものとそうでないもの、録音が販売されているものとそうでないもの、いろいろありますが、程度の差こそあれ基本的にはどれもワーグナーの原曲を忠実に切り張りしています。

バンダを削っているぐらいで編成はほぼ削減されていませんし、声楽部分からの置き換えや独自の作曲はみな最小限に抑えられていて、その意味での「編曲」はどれもあまり行っていません。それなので、ここで話題にするのはどの部分を抜粋しているかにとどめます。楽譜を見られないものもありますし。

ラインスドルフ編

ラインスドルフはバッハやブラームスの編曲のほかに『指環』や『影のない女』、『ペレアスとメリザンド』あたりの組曲を作っていて、どれも本人以外の録音があります。

作曲を勉強したこともあるらしいですが、抜粋はどれも原曲に忠実で、声楽パートの置き換えをまったく行っていないのが特徴的なところです。抜粋する箇所にも少し癖があり、『指環』はジークフリート第三幕の間奏曲、「ハーゲンの見張り」のあとの間奏曲と珍しいところを含んでいますし、『影のない女』は劇の進行とは関係ない再構成で、シュトラウスの『交響的幻想曲』を補足するようなセレクトになっています。『ペレアス』もペレアス殺しの場面を含まず、全体に淡い色彩でまとめています*1

ラインスドルフによる抜粋の楽譜は出版されていません。少なくとも1963年には演奏された記録があり*2、のちに本人指揮のCDとDVD*3ノリントン指揮のCDが出ています。演奏時間は40分前後。ラインスドルフの演奏はどちらも同じオケで同年ながら別演奏のようですが、深入りはしません。いずれにせよ抜粋箇所は同じです*4。曲のセレクトは以下の通りです。

・第一幕の前奏曲
・第一幕の場面転換の音楽(...幕開け+3、[85]...[92]、[126]...[126]+5)
・第三幕の前奏曲(冒頭...[216]+7)
聖金曜日の奇跡([252]-3...)*5
・第三幕の場面転換の音楽(...[271+2])
・第三幕の終結([290]-4...[292]、[295]-1...最後)

幕開けのファンファーレのあとすぐに「舞台転換の音楽」へ。変ヘ長調ホ長調同士でスムーズに繋がります。その後、第一幕ラストの「予言の動機」を使ったつなぎも違和感はないですが、その後の「聖金曜日の奇跡」への転換、「舞台転換の音楽」から終結部への転換はやや唐突です。ドラマの明転がより鮮烈になるという解釈もあるかもしれませんが。

その終結部は、抜粋の出版譜で声楽が置き換えられているところをばっさりカットして短くまとめています。良くも悪くも元の楽譜への忠実さが目に付いて、全体の構成も渋いとは思いますが思い入れが感じられる抜粋です。他の楽団が楽譜を作成するのも比較的楽でしょう。

デ・フリーヘル編

他にも『指環』などの抜粋を作成している編曲者が1993年に作ったもので、"Orchestral Quest" と題名が付けられて*6ショットから出版されています。録音はデ・ワールトとヤルヴィのものがあり、二つでかなり違いはありますがおおむね50分前後かかります。

各部分にはオリジナルの題名が付けてあり、

1. 前奏曲
2. パルジファル([146]...[151]-2、[74]...)
3. 聖杯の騎士I(...[97]+2、[124]+7...[126]+4、つなぎ4小節)
4. 花の乙女たち([153]...[154]、[156]...[170]+11、[174]-6...[174]+9、つなぎに変更あり)
5. 聖金曜日の奇跡([252]-1... 細かいカットあり)
6. 聖杯の騎士II(...[270]+6)
7. 後奏曲([287]-7...最後)

の構成です。全体の構成は「花の乙女たち」と「聖金曜日の奇跡」の俗と聖の対比を軸に、シンメトリックに作られているそうです(「後奏曲」はパルジファルの動機で始まり、かなりたっぷりと採られています)。いくつかの編曲のなかでも特に手のこんだものの一つと言えそうで、カットも丁寧ですし、オリジナルのつなぎ部分も最小限かつ、既存の部分を使ってごく自然に作られています。第二幕と第一幕でパルジファルが「奔放の動機」とともに登場してくる場面をまとめた「パルジファル」の部分*7のように、楽しい場面がほどよく盛り込まれていて、編曲者によるワーグナーシリーズはどれもそうですが、使いやすさではおそらく一番でしょう。

ルジツカ編

作曲者・指揮者のルジツカが中国フィルハーモニー管弦楽団を振るときに作った編曲で、「七つの交響的断章」としてショットから出版されています*8。録音は配信(のみ。おそらく)で聴くことができて、YouTubeでも公開されています*9。演奏時間は45分程度で、構成は以下のとおり。

・第一幕の前奏曲
・第一幕の場面転換の音楽(...幕開け+3、[85]...[92])
・第二幕の前奏曲([129]...[132]-1)
・第三幕の前奏曲([213]...[216]+6)
聖金曜日の奇跡([251]+9...)
・第三幕の場面転換の音楽(...[271+1])
・第三幕の終結([287]...[291]+4、[294]-4...最後)

スコアを見ると、全曲の楽譜を切り張りして作られているようで、かなり元々の音符に忠実です。抜粋箇所についても、前の記事で挙げたよく演奏されるポイントをそのまま網羅しており、癖のない編曲と言えるでしょう。「聖金曜日の奇跡」ですら慣例的なカットをしていなくて、編曲の作為がほとんどないのがかえって個性に思えます。

ボールト?編

ボールトがLSOと録音した抜粋は、30分ほどで4曲を演奏しています。楽譜は出版されていません。

・第一幕の前奏曲(演奏会用エンディング採用)
・第一幕の舞台転換の音楽([84]...[93]+3)
・第三幕の前奏曲([213]...[218]-2)
聖金曜日の奇跡(出版譜通り)

今回取り上げた抜粋はどれも全体をひとつながりにしたものでしたが、これだけは各場面を終止させています。なので「第一幕の前奏曲」と「聖金曜日の奇跡」は出版譜での終結をそのまま使っていますが、「第一幕の舞台転換の音楽」ではハ長調の和音が鳴り響いたところで終結、「第三幕の前奏曲」ではむりやり変ホ長調の和音を鳴らして終結、とやや強引に締めくくっています。もう少し融通が利いても良かったとは思いますが、一つの考え方としては面白いです。

その他

ルーカス・フォス編*10や、最新のゴーリー(Andrew Gourlay)編*11については音を聴いていないので差し控えます。どちらも原曲での前後を入れ替えて構成したもので、編曲者の創意を味わえるという点ではかなり興味深いものです。

20分以下の抜粋についても、基本的に既存の出版譜をもとにしていることもあって触れません。一つ言及しておきたいのは、ガッティがRCOと演奏した「第三幕の前奏曲」([213]...[217])と「聖金曜日の奇跡」([250]-1...既存の出版譜通り)です。ほかの編曲でこの部分のつなぎは大なり小なり力技になるのですが、このセレクトは音色(クラリネットのソロ)も調性(ニ長調三和音→ト長調)もごく自然で随一のものだと思います。

*1:個人的にはコンスタン編(八割方同じですが)よりも好きです。『ペレアス』の間奏曲抜粋自体、『牧神』『夜想曲』『海』の三点セットに割りこむだけの実力はあると思うのですがあまり取り上げられません。

*2:https://archives.bso.org/Detail.aspx?UniqueKey=9678

*3:リハーサル付き。内容はYouTubeでも公開されています。https://www.youtube.com/watch?v=xd7UixzeGFA

*4:1978年末から79年頭にかけてNYPで演奏したときのスコアが公開されていますが、このときの構成は少し違っています。https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/a9672999-0986-44a6-bde4-93a48e116e04-0.1

*5:ショット版に従って細かいカットがありますが省略。以下も同様です。

*6:『指環』は "Orchestral Adventure"、『トリスタン』は "Orchestral Passion"、『マイスタージンガー』は "Orchestral Tribute"。

*7:場面の前後の入れ替えは、おそらくデ・フリーヘルのワーグナーシリーズで唯一です。

*8:https://en.schott-music.com/shop/sieben-symphonische-fragmente-aus-parsifal-no318933.html サイトでスコア閲覧可。

*9:https://www.youtube.com/watch?v=bkV3KIDU2pU

*10:アソシエイテッド・ミュージックから出版。プレビュー可(https://issuu.com/scoresondemand/docs/parsifal_symphonic_excerpts_34284)。どうでもいいですが新古典主義そのもののような作風のイメージがあるので、ワーグナーの編曲は意外です。

*11:https://en.schott-music.com/shop/parsifal-suite-no405002.html ショットから出版。これもプレビューできます。